心技体の研究01 「万能を一心にてつなぐ感力なり」(世阿弥『花境』1424年頃)
「初心忘れるべからず」という言葉は、
誰もが知っていると思います。
この言葉は能楽者の世阿弥が、自分の芸道の究極の心得として残したものです。
室町時代に一世を風靡した能楽者世阿弥元清は、
すばらしいパフォーマーであったと同時に、脚本・舞台演出までこなす
マルチプレーヤーでした。
また自分の芸道論を後世に残すべく、自らの芸道論を書き残しました。
彼の文書は秘伝とされ、正式には観世流だけに伝えられていましたが、
明治時代の終わり頃、歴史学者の吉田東伍が『世阿弥十六部集』として出版し、
世の中に知られるものとなったのです。
私は、世阿弥研究の第一人者である表章先生(おもて・あきら)の講義を聞く
貴重な機会を頂いた時期があります。
ある授業の時に、「一子相伝、秘伝と言われているものが、このように流布していていいのか」という質問をしたことがあります。
先生のお応えは、「世阿弥は、自分の文章を何度も何度も書き直していたので、
親族以外の誰かに見られることは当然意識して書いていたと思う」というものでした。
世阿弥は、まだ経典がやっと木版印刷されるような時代の人です。
こうして今、我々が600年前の彼の思いを読むことができるってすごいことだと思います。
世阿弥の残した文献の魅力は、彼自身が実践者として経験し、体感し、考えながら、
選びに選んだ生身の言葉の力です。
その言葉は、古文が苦手な人にも伝わってくるものです。
何故なら、机上の言葉ではなく、現場の身体から見つけ出した言葉だからです。
私が最も敬意を感じ、大切にしている内容は
「万能綰一心事」(まんのうをいっしんにつなぐこと)の章です。
これは、舞台での演目を観るなかで、「せぬとことが面白き」(何もしていないところがおもしろい)という意見を分析した内容です。
世阿弥は、歌や音楽や舞という「わざ」と「わざ」との間に大切なものがある、と指摘しています。さまざまな芸の表現、目に見える「わざ」は、目に見えない内側の「心」でつなぐことが肝要であり、「この内心の感、外に匂ひて面白きなり」と記しています。その演者の心がにじみ出てくるところに価値を見出しているのです。
続いて、「無心の位にて、わが心をわれにも隠す安心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり」という決め台詞があります。
無心の状態になり、あらゆる「わざ」がひとつの心でつながる境地にたどりつくということ、が示されています。
「万能を一心にてつなぐ感力なり」、ものすごく迫力のある言葉で、
解説文では解説しきれないような深い意味がこめられていて、感動的です。
600年以上も前の人の仕事への芸術への情熱を感じます。
日本人で日本語がわかって良かった!と思わせてくれます。
技と技の間を心でつなぐ、という
この言葉は、私にとって、座右の銘みたいなものになっています。
人間のこと、組織のこと、技術のこと、場のこと。企業のこと。社会のこと。
「心・技・体」について、考えるベースとなるものです。
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